開校当時の校舎です。当然ですが、木造校舎で広い校庭が印象的です。実は、建設予定地としては、現在の “北第一公園”の場所がリストに上がりましたが、運動場が狭い・西地区に偏りすぎ等の理由から、北地区の 中央である現在の場所に決定しました。写真は初代校長 真下政安校長先生です。
校長先生が、本校の校歌 の作詞を担当してくださいました。
教室での様子。二人掛けの木の机にぎゅうぎゅうになりながら座っています。この頃、1クラスに59人も入って いたそうです。今の学級の人数から考えると、信じられない人数ですね。
【当時の思い出話を語ってくださった卒業生のコメントより】
二小から別れて、第四小として開校した当時は、1年生から4年生までが第四小に通うようになりました。 その4学年でも、当時の校舎には全員授業が受けられなくて(教室が足りず)、二部制で授業を行っていました。 朝低学年が先に登校して授業を受け、その後3・4年生が登校して授業を受けるというように・・・
写真に写っている石橋先生は、いつも一生懸命に授業をしてくださり、体育では常に子供
と勝負する熱血漢 でした。おかげで、鉄棒(蹴上がり)もすぐに上達しました。また、学校に
プールがなく、第一中学校まで歩いて 行き、水泳の授業を受けていました。休み時間には
、校庭でよくSケンをして遊びました。
一番の思い出は、当時学校の先生が当番制で宿直(学校の夜間警備)をする時、学校に訪
ねていき、先生と 一緒に夜の校舎を探検(肝試し)したり、夜遅くまで、話し込んだりしたことが
懐かしく思い出されます。
このように、懐かしい授業のエピソードなどありましたら、教えてください。